2026年3月2日、日本の政界に衝撃が走った。元参議院議員で国民民主党の代表代行などを歴任した大塚耕平氏が、心不全のため逝去した。66歳だった。事務所が4日に発表した訃報は、近親者のみで葬儀を執り行ったことを明らかにし、生前の意思を尊重した静かな別れとなった。
大塚氏は長年、病気療養中だったが、最近まで政治活動への意欲を示していた。今年2月の衆議院選挙では、国民民主党愛知県連から愛知6区での擁立を検討されていたものの、体調不良を理由に辞退。2024年11月の名古屋市長選挙への出馬で現職に敗れた後も、藤田医科大学などで若手指導に携わるなど、現役を退いた後も社会貢献を続けていた。
この突然の訃報に対し、国民民主党の玉木雄一郎代表は自身のX(旧Twitter)で「旧国民民主党の共同代表を共に務めるなど、この間の野党再編の荒波を共に乗り越えてきたかけがえのない戦友であり尊敬する先輩でした」と追悼。党所属議員らは国会で黙祷を捧げ、古川元久代表代行は涙ながらに「大塚さんが残してくれたものを私たちがしっかり守って、この党を大きくして」と語った。国民民主党にとって、大塚氏はまさに「生みの親」の一人であり、その死は党の未来に深い影を落としている。

生い立ちと日本銀行時代 経済の専門家として歩み始めた道
大塚耕平氏は1959年10月5日、愛知県名古屋市に生まれた。県立旭丘高等学校から早稲田大学政治経済学部経済学科へ進学し、卒業後は同大学院社会科学研究科博士後期課程を修了した。専門は経済学で、特に金融政策や財政に深い知見を持っていた。
大学卒業後、1983年に日本銀行に入行。日銀では主に調査統計局や金融市場局などで勤務し、中央銀行の視点から日本経済の構造を分析する仕事に携わった。当時の大塚氏は、理論家としての基盤を固め、現場のデータと理論を融合させた視点が評価されていた。
しかし、1990年代後半の日本経済はバブル崩壊後の長期停滞に苦しみ、銀行員として経済の歪みを肌で感じていた大塚氏は、政治の世界への転身を決意。2001年、42歳で日本銀行を退職し、同年の参議院選挙に旧民主党から愛知選挙区で立候補した。
政界入りから民主党政権へ 厚生労働副大臣としての実績
2001年の参院選で初当選を果たした大塚氏は、以降4期にわたり参議院議員を務めた(2001-2024年途中辞職)。民主党政権下では、内閣府副大臣、厚生労働副大臣を歴任。特に厚生労働分野では、年金制度改革や労働政策に携わり、現実的な政策立案で知られた。
2010年代に入ると、民主党の分裂・再編の渦中に身を置く。2016年の民進党結成時には党の理論的支柱として活躍し、2017年には民進党代表に就任(短期間)。その後、2018年の国民民主党結党では共同代表を務め、中道・現実路線を掲げる党の理念を形作った。
大塚氏の政治信条は「国民の良識と判断力を信じ、正直な政治、偏らない政治、現実的な政治を追求する」というもの。これは国民民主党の結党宣言にそのまま反映されており、党のDNAとなっている。
国民民主党での役割と野党再編の苦闘
国民民主党は、旧民主党・民進党の流れを汲みながらも、立憲民主党とは異なる独自路線を歩んできた。大塚氏は代表代行や政調会長として、政策立案の中心にいた。特に財政再建と成長戦略のバランス、社会保障の持続可能性を重視した提言は、党の独自色を強めた。
2020年代に入り、野党再編の動きが活発化する中、大塚氏は「現実的な野党」としての位置づけを主張。自民党との協力も視野に入れつつ、立憲民主党との違いを明確にした。しかし、党勢拡大の壁は厚く、選挙での苦戦が続いた。
2024年、大塚氏は4期目の参議院議員を辞職し、故郷・名古屋市長選挙に挑戦。現職の河村たかし氏(当時)らとの激戦を繰り広げたが、惜しくも落選した。この出馬は「地元に貢献したい」という長年の思いの表れだったが、体力的な負担も大きかったとされる。
晩年の活動と突然の死 遺されたもの
市長選落選後、大塚氏は政治の表舞台から一歩退き、藤田医科大学などで学生指導に当たっていた。歴史や宗教、古典にも造詣が深く、地元紙に連載を持っていた時期もあり、知的な側面が多くの人々に愛された。
しかし、病状は進行。2026年3月2日、名古屋市内の病院で心不全により永眠した。66歳という若さでの死去は、政界に衝撃を与えた。
国民民主党は公式サイトで「国政に大きな足跡と幾多の功績を残され、国民民主党の礎を築いていただいたことにあらためて敬意を表し深く感謝いたします」と哀悼の意を表した。党員や支持者からは「大塚さんがいなければ今の国民民主党はなかった」「理論派の論客が早すぎる去り方」との声が相次いでいる。
大塚耕平氏の政治的遺産 これからの国民民主党に
大塚耕平氏の死は、単なる一人の政治家の訃報ではない。野党再編の荒波をくぐり抜け、中道政治の可能性を追求し続けた軌跡そのものだ。
彼が残したのは、政策のリアリズムと「偏らない政治」の理念。国民民主党は今、これをどう継承し、党をさらに大きくしていくかが問われている。古川元久代表代行の言葉「大塚さんが残してくれたものを守って、この党を大きくして」は、多くの党員の決意を代弁している。
政治とは、終わりなき営みだ。大塚氏がいなくなっても、その思いは生き続ける。読者の皆さんも、彼の生涯を通じて、日本の政治が何を目指すべきかを考えてみてほしい。